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シロの思い出

我が家に2ヶ月の間だけ、パッチという猫がいました。彼は、保護施設にいるときにFIV(猫エイズ)という病である事が発覚し、その末期的症状が出始めていました。我が家では、先住猫のシロが腎不全で亡くなったばかりでしたので、またすぐに別れなければならない動物を引き取る事には抵抗がありました。例え短い期間であっても、家族の一員として共に時間を過ごした動物との死別は、何度経験しても辛いものです。しかし、後数カ月で死を迎える事が分かっているパッチの最期を、せめて一つの家庭の中で過ごす事ができるように、妻と話し合った結果彼を引き取る事に決めました。

パッチは、その存在を全く主張する事なく、まるでロウソクの炎のように、ひっそりと残された最期の命を燃やし続けていました。私たちの側に来るときにも、音も無くそっと近付いて来て寄り添っていました。シロの治療のときに覚えた点滴を、自宅で週に2度処方していましたが、パッチは日に日に弱っていきました。

パッチ

ある日仕事から帰ってくると、パッチは自分のトイレの中にうずくまっていました。きれい好きな猫にとって、トイレの中にうずくまったり、トイレ以外の場所でおしっこを漏らしたりするのは、あまり良い兆しではありません。そして、パッチの筋肉はまるでつきたてのお餅のように張りがなくなり、もはや自分の体型を維持するための力すら残っていない様子でした。まぶたや歯茎も血の気を失って白く変色しはじめ、パッチが貧血状態の中で苦しんでいるのがわかりました。私たちは、ついに安楽死の決断をするときが来た事を知りました。肉体的、精神的苦痛しか残されていないパッチに、これ以上延命治療を行うのはあまりにも残酷な事です。獣医の先生も、それがパッチにしてあげられる最良の判断だと、私たちの決断に同意してくれました。血管が細くなり注射器の針を刺す事すら困難な状態でしたが、注射と共にパッチは眠るように息を引き取りました。

2ヶ月の間、パッチは決して多くを求める事なく、自分に残された命を私たちと共に生きました。「安楽死」という選択は正しかったのだろうか…と今でも思います。しかし、人間と同じように、残された命を如何に生き、その命を終えるかという事は、どうぶつたちにとっても大切な事なのです。寿命であろうと病死であろうと、彼らの最期を見送った時にはいつも思います。彼らが、私たちと共に暮らした時間は幸せだったのだろうかと…。


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